ペイルホース無しの微パラレル設定です。 |
「俺たち二人の可愛いウサギチャンだ。金をタップリ稼いでくれる」 郊外の閑静な高級住宅街、自分の住むアパートが建物ごと楽に入ってしまう敷地の家が点在する地域を、アクシデントで帰りの足を失った同僚のアマンダを載せて走る。しん、と静まった路に自分のバイクの音だけが響く。規則的な振動と、身体にまわされた細くて温かい腕の心地よさに、このまま送り狼なんてのも有りかな?と考えて、すぐに諦めた。マレクが家で待っているのに、彼女がそんなことを易々と許してくれるはずもない。それに…。 そっと苦笑混じりのため息をついた自分めがけて、街路樹に挟まれた横道から白い車体が一時停止無しで右折して来た。 すんでのところで接触を回避し、幸いにもガラ空きな対向車線に逃れて急停車。 タンデムシートから体重が浮き上がるのと、肩の辺りに弾力を感じたのはほぼ同時だった。車体が一度ぐっと沈み、すぐに後ろが軽くなる。アマンダが降りたからだ。 飛び出して来たバイクは路肩近くに横倒しになっていた。乗っていた男は、倒れてはいないが車体の近くに座り込み動かない。怪我をしているのかもしれない。悪いのは相手だが、まさかこのまま立ち去るわけにもゆかず、バイクを近くに寄せて止め、男の側に立つアマンダの傍らへ近付いた。ここはひとつ念入りにとっちめててやろう。 だが、アマンダの問いかけに答える声を聞くうちに怒りは驚きへと変わっていった。 まさか。 薄暗い街灯の下、ヘルメットを脱いだその男はまぎれもなく、5年前まで自分が背中を追い続けた相手、今ではマスメディアのフィルター越しにしか見られない不敗の王者ゲルト・フレンツェンだった。 渋るアマンダをなだめて自分のバイクを譲り、明らかに様子のおかしいゲルトをナイトホークの後ろに載せて彼の自宅へ向かった。必要無いからと外してしまうことの多いタンデムステップを残していてくれたのはありがたかった。 ガレージで改めて確認すると、カウルには擦った跡がついていたが壊れている箇所は無く、ゲルトにも怪我はなかった。彼のヘルメットにも傷はない。なのにずっと呆然としてろくな返事もできないなんて。公道だったことを加えても、この程度の転倒やニアミスでショックを受けるような心臓ではないはずだ。 そもそも、周囲を確認もせずに飛び出して来たことからして変だった。 どこか遠くを見ているようでなかなか目を合わせないゲルトを問いただす。 この状況でさすがに帰れとは言えないらしい。しつこく粘って食い下がり、ニアミスをネタに脅しまがいのことまで言ってようやく歯切れの悪い答えが得られた。 「ジルの部屋に… 」 眉間の皺が深くなる。絞り出すような、掠れた声が震える。 「 …マシューがいた」 ただ「居た」わけじゃないのは訊くまでもなくわかった。 自分だって他人のことは言えないが、仕事柄男ばかりの環境で世界中のGP開催地を転々としている生活では女の子とまともにつきあうチャンスなんて滅多に無い。今すぐ会いたいなんて言われても、自分は地球の裏側にいたりするんだ。ゲルトについても時々ウワサは耳にしてたけれど長続きはしていないようだった。 だからゲルトにステディな彼女ができたってきいたときは驚いたし自分のことのように嬉しかった。彼女にばかでかい家を建ててやるって聞いた時はさすがに呆れたっけ。 「俺は、ドッグレースのウサギだと」 ガレージのベンチに座り自嘲するようにつぶやいた。握りしめた両手の爪が拳に食い込んでいる。初めて見る、信頼していた者たちに裏切られた英雄の痛々しい姿。 たまらなくなって、ゲルトの正面に膝をつくと「見るな」というように顔をそむけられた。その頭を自分の肩にのせ、両手で彼の肩を抱きしめる。 「こうすりゃ見えねえよ」 暫くするとゲルトの手が、そっと縋るようにジャケットを掴んできた。 彼の身体を震わせているのは怒りだろうか、哀しみだろうか。 時折、硬い金髪が頬を撫でる。 ガレージに漂う嗅ぎ慣れたオイルの臭いと、懐かしい彼の匂い。 最後にハグしたのは、いつだっただろう。 レーサーを辞めると決めたとき、大切にしてきたものを何もかも根こそぎ失ったように思った。でも本当は自分が目をそらしていただけで、大切なものは全部以前と同じ、こうして手を伸ばしさえすれば届くところで輝き続けていたのかもしれない。 あの頃の情熱が思い起こされた。 どれぐらいそうしていたのか、ゲルトが落ち着いた頃には触れ合っていた部分以外すっかり冷えきっていて、深いエメラルドを縁取る濡れたまつげも、乾いた唇も、おそるおそる触れた唇に冷たかった。 冗談が過ぎると怒られる覚悟だったのに、ゲルトは俺の手から逃れようとしない。 これは神の奇跡か悪魔の誘惑か。 低音に呼ばれて視線が絡む 心臓がうるさい 俺のブレーキが きかない |
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